昭和8年、アメリカに端を発した大恐慌の影響を受けて暮らしが苦しくなっていく中、「甘くておいしい和菓子を通じて、少しでも周りの人たちを元気づけたい」という想いでお店を開いたようです。
そんな初代の遺志を継いだ二代目が、森光義文です。義文が継いだ昭和40年代は、戦後復興もほぼ終わり、日本が高度成長期に入り、誰もが素晴らしい未来を信じて輝いていた時代です。義文は、変わり、発展してゆく日本と同じように、八天堂に「洋菓子」を取り入れました。
そして今、三代目となる孝雅は、初代の「和」と二代目の「洋」を融合した、新しい八天堂を作っています。
神戸のフロインドリーブというドイツパンの名店で4年半の修業をしてきた孝雅は、八天堂を継いでから、広島県内で10店舗を数えるまでのパン屋にまで成長させていただきましたが、次第に「良いパンを」という想いから、「次に売れるパンを」と考えるようになり、いつしか商品点数は100点を超えるまでになっていました。
八天堂が八天堂である理由を見失っていた孝雅は、「お客様の笑顔のため」、「関わっていただける人たちの笑顔のため」という原点に立ち戻ることとし、広げた店舗と100種類におよぶパンに分散させてしまった八天堂の想いをひと品に集中し、改めて八天堂が八天堂である理由を感じていただける「お品」を創らせていただくことにいたしました。
そうして誕生したのが、八天堂の代名詞ともなった「くりーむパン」です。
一つ一つの「お品」を徹底的に考え抜き、丁寧にお創りする。それが今の八天堂です。お手に取っていただいたお客様には、必ず喜んで頂けるよう、皆で精いっぱいの心をこめてお創りしています。
孝雅は今、八天堂が創らせていただく「お品」と関わっていただけるすべての人に、「おいしい」と「うれしい」を「安心・安全」とともにお届けすることを使命と考えています。
スイーツパンのその先に
わたしたちが描くのはお客様の笑顔
わたしたちが育むのは働くことで輝く人
わたしたちが目指すのはより豊かな社会
八天堂は2023年6月に90周年を迎えました
広島三原から東京へ、東京から全国へ、そして日本から世界へ
100年先も目指して、食のイノベーションで“おいしい”のもっと先へ
八天堂の代名詞である冷やして食べるくりーむパンは、完成までに1年半の月日を有し、2008年に誕生しました。
カスタードに生クリームを混ぜることで、「くちどけ」を表現できますが、当時、クリームパンはクリームをパンに包み込んで焼き上げる製法が主流でした。しかし、生クリームは熱耐性がないためパンに入れて焼き上げることはできませんし、冷蔵庫に入れなければならず冷やすとパンは固くなってしまいます。ここで過去の和洋菓子店時代の経験が活きてきます。和洋菓子店時代、シュークリームやショートケーキが人気でした。ケーキのスポンジをイメージした配合でパンを作り、シュークリームのように後からパンにクリームを入れると、冷蔵庫で冷やしてもしっとり柔らかいクリームパンが出来たのです。
株式会社八天堂は8月10日を「八天堂の日」として、一般社団法人 日本記念日協会に記念日登録認定をいただきました。
社名の8(はっ)10(てん・どう)に由来した日として、“冷やして食べるくりーむパン”の八天堂をさらに知 っていただき、また「感謝の気持ち」を表現する記念日として申請いたしました。
今後も様々な商品を開 発・安心安全を第一にお品をお届けし、「お客様・関わっていただく方の笑顔のため」食を通じて貢献することを目指します。
初代 森光香は店舗の名前を考える際、地元にある「八天堂」というお堂に関心を持ちました。 「昔から地元にあり親しまれているお堂「八天堂」の様に、自身の和菓子屋も地元から親しまれ、愛されるお店にしたい。」 そのような思いから、初代 森光香は「八天堂」という名前を、そのまま店舗の名前に使えないものかと考えます。
もちろんお堂は地元の人たち皆さんのものですから、勝手に名前を使うわけにはいきません。初代 森光香は地元の人たちに相談をしたところ、どなたも快く「八天堂」という名前を使うことを賛成してくださいました。 そうして昭和八年、広島県三原市に開店した小さな和菓子屋は「八天堂」と名乗ることとなったのです。